ジャン=リュック・ゴダールを追悼する

私のアイドルが次々と亡くなっていく。
ゴルバチョフの次はゴダールだ。

かつて映画青年だったなら必ず出会っている存在。
『勝手にしやがれ』(1959年)と『気狂いピエロ』(1965年)は誰もがあげる傑作です。
「たしかに俺は話し過ぎだ。孤独な男はしゃべりすぎる」は、『気狂いピエロ』の名台詞。
ゴダールの映画は孤独と愛、饒舌と色彩と引用に満ちています。

ジャン=ポール・ベルモントによれば、『気狂いピエロ』の撮影現場は不快なものだったらしい。
なにしろ監督ゴダールと主演女優アンナ・カリーナは4年間に渡る結婚生活に終止符を打った直後。
ベルモント曰く、「(2人は)まさにコブラとマングースのようだった」と。
ゴダールとアンナ・カリーナの相克、ベルモントが抱える不信感… 普通、こういった映画は成功しない。
ところがこれらのマイナス要素が、台本なしの即興演出と絡み合って傑作映画を生み出すことになる。
「あなたは言葉で語りかけ、私は気持ちで応えるから」(アンナ・カリーナ演じるマリアンヌのセリフ)。
セリフのひとつひとつがゴダールの呻きであり、ワンカットワンカットが追い込まれた天才だけが作れるアートになっている。

…というわけで、私がもっとも評価するゴダール映画は『気狂いピエロ』。
しかし一番好きなゴダール映画は違う作品。『中国女(La Chinoise)』(1967年)です。
大雑把に説明してしまうと、フランスに及んだ毛沢東主義の話。意味わからん!でしょ(笑)。

当時、中国では文化大革命が進行していた。ゴダールは毛沢東に傾倒。映画『中国女』を制作した。主演女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーは『毛沢東語録』を何度も掲げ、挿入曲は『マオ・マオ』。悩める5人の左翼青年たちの物語だ。
ゴダールとアンヌは、『中国女』が制作された1967年に結婚している。

私が、『中国女』を初めて見たのは1975年。アテネフランセのホールだった。
中国ではまだ文化大革命が続いていたが、日本の左寄りの大学生たちの間でも、「文革だけはなんか変だぞ」という空気が支配的になっていた。

「『中国女』は凄く面白かった!」と言うと、非政治的映画青年たちからは、「なんであんな政治的メッセージだらけの映画がいいの?あれって、そもそも映画なの?」みたいな批判を浴びた。
少し政治的な映画青年たちからは、「毛沢東主義丸出し。もはや論外!」みたいなことを言われ、散々でした(笑)。

私の中では、『中国女』に出てくる毛語録はアンディ・ウォーホルのキャンベル缶のようで、最新のポップアートに見えた。そしてアンヌ・ヴィアゼムスキーが場違いとも思える美しさを魅せていた。
毛沢東はゴダールにとってのアイドルだったに違いない。
色彩は黄色と赤の洪水。今思えば、『気狂いピエロ』で遺憾なく発揮されたゴダールの色彩感覚が黄色と赤に純化していた。

友人たちから、あまりにも賛同を得ることができなかったので、私が『中国女』を口にすることは少なくなっていた。「ゴダールで一番好きな映画は?」と問われれば、「『気狂いピエロ』かな…」とお茶を濁していた。

ところが、強い味方が現れた!
2017年の『グッバイ・ゴダール!(原題:le redoutable)』。アンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝が原作の映画で、『中国女』と翌年のパリ5月革命を巡るゴダールとヴィアゼムスキーの物語になっている。
監督はミシェル・アザナヴィシウス(最近では『カメラを止めるな!』のリメイク=『キャメラを止めるな! Coupez !』を監督)。
『グッバイ・ゴダール!』はゴダールLove!『中国女』Love!を極めた作品。
『中国女』に傾倒した私は、まったくの頓珍漢ではなかったのだ!(笑)
『グッバイ・ゴダール!』によって、私のゴダール観は原点に戻ることができた。

 

  • 『グッバイ・ゴダール!』に関しては、観た直後に書いた記事が以下にあります。

極私的映画日記『グッバイ・ゴダール!』と『中国女』

 

そして、ゴダールは逝ってしまった。
91歳だから、まぁ大往生。「自殺幇助」だそうです。最期の最期までお騒がせなゴダール。しかし自殺幇助という翻訳は頂けない。せいぜい自死ナントカとかナントカ的自死にして欲しかった…

ともあれ冥福祈りたい。ゴダールは、なんてったって私のアイドルなのだから。