大竹しのぶ LIVE×ACT『NA・NI・MO・NO』

スパイラルホールで、大竹しのぶ LIVE×ACT『NA・NI・MO・NO』を観てきた。
歌と芝居と語りによる構成。出演者は大竹しのぶと生バンド(ピアノ・チェロ・ギター)だけ。
「コレはお料理なしのディナーショーかな…」なんて甘く見ていた私。深~く反省!
圧巻でした。
“大竹しのぶ半生期”。プライベートと言うかプライバシーまでぶちまけながら、それを縫い針にして自らの69年を紡いでいく。そこに時代的、意味的に関連する歌を有機的に絡ませている。
見事でした。否、“見事”という形容すら不似合いに感じるほど凄くて、ある種、凄まじかった。
12曲歌うが、ハイライトは美輪明宏の『老女優は去り行く』。笑いを取ってはいたが、次の半生に向けての覚悟を感じた。
どこかで、大竹しのぶは演技派と称されることを好まないと読みかじりった。
芝居はしているのだけど、それは“技”ではない。
スパイラルホールという狭い空間。あの距離で大竹しのぶの“演”を観て、瞬間的な集中力、役への入り込み、いわゆる憑依かな。深く感じ取ることができた。
映画やドラマのアップでも伝わってこないもの。物理的な近さならでは。
もう一つはオン(演)とオフ(素)。大竹しのぶに限らないが、私たちはふだん、俳優のオンの部分しか観ていない。映画はOKカットだけだし、演劇ではカーテンコールを除けば、俳優は常に役を演じている。
今回のステージでは、大竹しのぶがオフ(素)からオン(演)に入る瞬間を何度か見届けることができた。
たいへん貴重で贅沢な経験でした。
追記:
役者のオフとオン。数十年前、助監督時代にはたくさん見ていたはずなのだが、あまり意識的になっていなかった。「役者なんだから当たり前」みたいな安易な見方だったかも知れない。
テレビではドキュメンタリー系が多かったので、俳優を使うときには、そのオフ(素)を引き出すことだけに注力していた。
俳優が“技”を排除したとき、そのオフからオンへの切り替わりは、凄まじく輝く瞬間になる。
この歳になっても、勉強になることはたくさんあるものです。

