セドリック・クラピッシュ監督『モネと時間旅行(La venue de l'avenir)』に注目を

映画を観て、心の底から優しい気分になれたのは久しぶりかも…
殺戮も暴力も一切なし。しかし素晴らしい感動をもたらしてくれた。
セドリック・クラピッシュ監督『モネと時間旅行』(原題:La venue de l'avenir)。
原題“La venue de l'avenir”の直訳は“未来の到来”。日本人にとってはあまりに抽象的で意味が掴みにくいので、邦題は“モネと時間旅行”となっています。印象派の巨匠クロード・モネへのオマージュを前面に押し出してますが、それだけでは語り尽くせない深くて優しい秀作です。
ノルマンディーの田舎の村。誰も住まない1軒の廃屋がある。
地域の再開発計画が持ち上がり、土地家屋ともに自治体に買い上げられることに。
この家には19世紀の終わり頃、アデルという名の女性が住んでいた。
現在(2025年)、廃屋の所有権はアデルの子孫・血縁の30数名が共有していて、諸々の手続のために4人の代表が選ばれる。
若手デジタル映像クリエイターのセブ(演:アブラム・ヴァプレ)。養蜂家ギイ(演:ヴァンサン・マケーニュ)。交通関係のエンジニアであるセリーヌ(演:ジュリア・ピアトン)。中学校のフランス語教師アブデル(演:ジヌディーヌ・スアレム)だ。
調査のため廃屋を訪れた4人が発見したのは1枚の絵画と複数の手紙、そして2枚の肖像写真だ。
絵画は印象派の画家によるものと思われ、手紙はかつてその屋敷に暮らしたアデルが残したもの。写真の1枚はアデルらしい。もう1枚には別の女性が写っている。
心優しいミステリーの謎解きが始まる。
多くの紹介記事では、「2つの時代=“現代(2025年)”と“ベルエポック(美しい時代)が頂点に達した1895年”を舞台とした」みたいに書いているが、実際には3つの時(とき)が絡んでいる。
1つは現代。4人が廃屋で絵画と手紙と写真を発見した。セブが主役ではあるが、4人の群像劇として描かれている。キャラクター設定がうまい! 演技的には4人全員甲乙付けがたい名演だ。
2つ目は1895年。ノルマンディー、エトルタに近い田舎の村で祖母に育てられたアデル(演:スザンヌ・ランドン)を追う。エトルタはモネに縁のある場所だ。アデルは祖母の死をキッカケに、仕送りだけで一度も姿を見せたことない母を探しにパリへと向かう。
パリでは印象派の画家たちがもてはやされていた。リュミエール兄弟がシネマトグラフを発明し、世界初の映画『Sortie de l‘Usine(工場の出口)』を公開したのもこの年だ。1827年にニエプスが発明した写真が進化を遂げ肖像写真が流行。ベルエポックはその絶頂期にさしかかっていた。
この映画にはない余談だが、写真の登場により画家の食い扶持だった肖像画のニーズが激減。「写真では不可能な絵画の表現を!」という若手画家たちの思いが印象派が生んだという解釈もある。
アデルはパリで2人の青年と出会う。画家を目指すアナトール(演:ポール・キルシェ)と写真家を目指すルシアン(演:ヴァシリ・シュネデール)。時代を象徴する役柄と言えばそれまでだが、とても好感が持てた。本作の俳優陣には文句の付けようがないが、ポール・キルシェとヴァシリ・シュネデールの演技が特に印象に残ったことを記しておきたい。
で、3つ目が1872年~1874年だ。

-クロード・モネ『印象・日の出』, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で-
モネが『印象・日の出』を描いたのは、1872年11月13日午前7時25分からの約10分間とされる。印象派でもっとも有名な絵画の1枚であることは言うまでもない。日時データは当時の太陽の位置、潮位、天候の記録と絵をすり合わせて割り出されたという。
場所はノルマンディーのル・アーブル。港に面した窓のあるホテルの一室だ。
この時、カンバスに向かうモネの傍らに1人の女性がいた… 本作のミステリーの大きな鍵となる。
『印象・日の出』が発表されたのは1874年。パリで開かれた第1回印象派展だ。賛否両論が飛び交う。絵画史的には、『印象・日の出』と第1回印象派展こそが、「印象派の夜明け」だ。
この場面には、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌ、シスレーなどの印象派の画家たちに加え、文豪ヴィクトル・ユゴーや写真家フェリックス・ナダールなども登場し、華やかなことこの上なし! 加えてこのシーンではクラピッシュ監督の遊び心が炸裂する。ネタバレになるので詳細は書けないが(笑)。
“時間旅行”というキーワードから想像できるとおり、観客は現代と過去を行ったり来たりする構成になっている。登場人物がタイムスリップするのはワンシーンだけで、基本的には現代と過去を切り分け、それを巧みに組み合わせている。
時代の切替え箇所では、スタイリッシュでトリッキーな編集も使っているが、違和感や嫌味はまったくなし。お洒落!と感嘆するばかりだ。
この映画、ミステリー仕立ての構造の中に、2つの大きなテーマを詰め込んでいる。芸術への敬意と恋愛だ。
「フランス人は恋愛至上主義だから」というのは私が勝手に作ったフレーズだが、熱愛、片想い、失恋、焼けぼっくいに火、行きずりの恋、二股… 様々な恋愛が絡んでくる。フランス人にとって恋愛がどれほど大切なのかが伝わって来る。日本人は恋愛が苦手なんて思わないが、恋愛観の方向性が少々異なるようだ。羨ましくはなる。
2001年にモネ絡みのテレビ番組を作ったことがある。『世界わが心の旅 セーヌ川/私をつくった二人の女(ひと)』。画家の中島潔さんを連れてモネの足跡を追った。『モネと時間旅行(La venue de l'avenir)』の主要なロケ地をこの時に訪ねていて、実際に以下の場所では撮影もした。
□ サン・ラザール駅: ノルマンディー方面へ向かうパリの玄関口。
□ オルセー美術館: モネを始め多くの印象派の作品を所蔵・展示。
□ エトルタの断崖: モネが愛した風景。エトルタの海岸線と断崖を描いた複数の作品が残されている。
□ モネの家と庭園: モネが1883年以降を過ごしたジベルニーにある家。晩年は庭園内や周辺で絵を描くことが多かった。
次の2箇所はロケハンだけだったが、瞼の裏に焼き付いている。
□ オランジュリー美術館: 8作からなるモネの大連作『睡蓮』を所蔵・展示。
□ ル・アーブルの港: モネが『印象・日の出』を描いた場所。
モネ絡み観光名所めぐりとも言えるが、美術に特化したツアーでなければエトルタやル・アーブルまで足を延ばすことは少ないと思う。
サン・ラザール駅はモネが描いた19世紀当時の面影を今も残している。
25年前、実に貴重な場所を訪れていたのだと我ながら驚いた。幸運だった。
それにしても、『モネと時間旅行(La venue de l'avenir)』は注目に値する秀作だ。
もっともっとこういう映画が出てきて欲しい。

