西荻で相米慎二を想う

きょうは西荻で一人酒。
久々に映画監督・亡き相米慎二(私にとっては相米さん)がらみの話題を耳にした。
『相米慎二』って本が出たってさ。35年以上通っている台湾料理屋の主人が教えてくれた。
私が『ションベンライダー』で相米さんの助監督に付いたのは1982年だ。ウチアゲでの一言は強烈だった。ションベンの現場を終えるや、すぐに次の仕事に転じた私を掴まえて、「あんまり仕事ばかりしてると駄目になるぞ!」。以来、私の座右の銘になった。
相米さんに最後に会ったのは1999年の12月。きょう行った西荻の台湾料理屋『珍味亭』だった。一人晩酌をして帰ろうとしていた私の前に現れた相米さん。まったくの偶然。お互い行きつけの店だったのだ。
「お前、ションベンの時の…」「そうです」。2時間以上、すっかり掴まってしまった。監督・助監督で付き合った時に話した合計の十倍くらい一気に話した。その時はすごく元気そうだった。1年半後、相米さんは肺ガンでこの世を去った。
結局、『ションベンライダー』は、私にとって最後の劇映画の仕事になった。その後、短編映画やテレビの世界に身を振った。
相米さんは「俺のせいか?」と聞いてきたが、その場では、「いや、いろいろな事情があって…」と誤魔化した。しかし、少しは関係があった。相米さんの現場を見て、どこかで自分が映画の世界に入り込みきれないことを感じとったのだろう。とにかく面倒な監督だった。
20年くらい経って、先輩助監督だった人から「ションベンが終わった後、相米さんが、助監督で一番頑張ったのはお前だって言ってたぞ」と聞かされて、ちょっとホロッと来た。
今夜、『ションベンライダー』からの29年が、走馬燈のように頭の中を走った。
今思えば、あの面倒な監督・相米慎二から、私が学んだことは数限りない。
あらためて、相米さんに感謝の想いを奉げたい。
西荻で飲むと、こんなことが起きる。だから西荻で飲むのはやめられない。

