『蟻の兵隊』(池谷薫監督/2006年公開作品)

少し前の映画なので、書こうか書くまいか悩んだのですが、やはり書きます。
『蟻の兵隊』(池谷薫監督/2006年公開)。

ズッと観たいと思っていて、観られなかった映画。ポレポレ東中野の戦後80年リバイバル上映に足を運んだ。平日の昼間、満席だった。
ご覧になってるかたも多いと思うので、若干のネタバレを含みつつ…

中国山西省日本軍残留問題。北支那方面軍第一軍将兵の一部が、第一軍上層部の判断で、終戦を経ても武装解除されることなく、国民党軍に編入され、4年間にわたって戦闘員として人民解放軍との戦闘を続けた。その数は約2600人とされ、うち、約550人が4年間の間に戦死している。
映画は、残留兵の1人、奥村和一さん(1924~2011年)を丹念に、そして徹底的に追いかける。
早稲田の学生だったが、1944年に学徒動員で徴兵。北支那方面軍第一軍に配属。
中国で、1945年8月15日に終戦を迎えたはずだったが… 命令により銃を携えたまま戦争を続けることに。1948年には人民解放軍の捕虜となり、帰国したのは1954年。戦後9年を経ていた。
奥村さんを含む残留兵たちは、志願して国民党軍に加わったとされ、現地除隊扱い、恩給などは支給されていない。
裁判を起こすが、2005年に最高裁で敗訴している。

軸となるストーリーは、裁判で争われた、「第一軍上層部の命令によって、残留したのか」という点だ。
何人もの残留将兵が登場するが、「志願して国民党軍に加わった」と証言した人は1人もいない。異口同音に、「命令があったから」と。
映画の中で、奥村さんは中国に渡り、複数の証拠を見つけ出す。
第一軍上層部は戦犯にされるのを逃れようと、みずからの保身を目的に、国民党軍の一部と密約を交わしていた。「日本軍の一部を渡すが、彼らは自主的に国民党軍に加わったことにして欲しい」(原文のままではありません)とまで記された文書があった。明らかに、残留命令の背景を示している。しかし、それが裁判所に認められることはなかった。
映画は、山西省日本軍残留問題を起点に、戦争の残虐性、とりわけ、日本軍が中国で行った蛮行を一人一人の証言で暴き出す。
奥村さんは、初年兵時代に、上官の命令により、銃剣で中国人を刺し殺したことを認め、深く悔恨する。
その殺害の現場へも足を運ぶ。暴力や略奪が日常茶飯事だったと。強姦があったことにも言及する。
実際の被害者本人、あるいはその子や孫、隣人たちとも出会うが、彼らが奥村さんに怒りをぶつけることはない。逆に、「すべてを語ってしまった方がよい」と諭されるのは、驚きを超えて感動だった。

軍隊に民主主義なんてない。命令は絶対だ。しかし、その命令が、少なくとも明確に国際法に反しているとしたら…
よく問われるが、突き詰めていくと、「軍隊とは…」まで行ってしまうので、ここでは深入りしない。ただ、日本軍のあまりに酷い非道さは、数々の証拠が示している。
ドキュメンタリー映画として、素晴らしい秀作だ。
しかし、いくつか気になる点もあった。
奥村さんの悔恨は、初年兵時代(終戦前)と残留兵時代に大別されるが、その切り分けが不明確で混乱するところがあった。時と場所を常に明確にする工夫が欲しかった。
“蟻の兵隊”というタイトルは、ある場面での奥村さんのつぶやきから取っているが、映画の中で、何回か、実際の蟻を捉えたカットが挿入される。エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』よろしくだ。あのモンタージュは必要だったのか… 逆に、奥村さんのつぶやきの意味を薄れさせてしまう気がした。
エンディング近く。8月15日の靖国神社で、小野田寛郎氏と対峙する。凄い緊張感で、秀逸の場面だ。ただ、この行動が完全に奥村さんの自発的なものだったのか、池谷監督が最低限のアレンジをしたのかは気になった。ギョーカイ人の下衆の勘ぐりと自省しつつも。
メインのカメラマンは福居正治さん。ギョーカイでは有名なドキュメンタリーの名手だ。福居さんの絵は凄い!
仕事を一緒にしたことはないが、一度だけ言葉を交わしたことがある。 当時は、私が懇意にしていた技術会社の社長だったので、気の良いオジサンにしか見えなかったが、「この人が伝説の福居カメラマンか!」と感動したのを覚えている。

ポレポレ東中野には、明らかに戦争の時代を生きたと思われる年代の人たち数人が、杖を突きながら観に来ていた。一方で、若い人たちも結構いた。少しだけ心強く感じた。
表向きは、中国山西省日本軍残留問題を告発するドキュメンタリーだが、この映画は、戦争の本質そのものに踏み込んでいると思う。
戦後80年を期して、各地のインディーズ系映画館でのリバイバル上映が続くようだ。未見の方は是非!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です