『黒川の女たち』

『黒川の女たち』(松原文枝監督)を観てきました。
吉祥寺UPLINK。当日早朝にオンラインで席を予約したが、その時点では、けっこうガラガラ。「あまり入ってないのかな…」と思ったが、実際に映画館に足を運ぶと…
平日の昼間なのに8割方埋まってた。良かった。客層は広く老若男女。中高齢女性がやや多かったかも。
満州に入植した黒川開拓団(岐阜県旧黒川村の住民による開拓団)が、太平洋戦争・日中戦争敗戦時に、開拓村の若い女性たちを性接待係として、ソ連軍に差し出したという、あまりに酷い歴史だ。
黒川開拓団が入植したのは吉林省陶頼昭。ハルビンの南100kmくらいの場所だ。
性接待の話は、旧黒川村(現在の白川町)の住民の間でも、戦後長い間、封印されてきたが、2013年、被害女性の1人が公に姿を出して証言。その後、メディアが取り上げるようになった。
2017年のNHK『満蒙開拓団の女たち』は、第54回シカゴ国際テレビ賞を受賞。この番組を見ていたので、事実のあらましは知っていたし、日本のアジア侵略が生んだ象徴的とも言える酷い出来事だという認識は持っていた。
今回の映画は、テレビ朝日のプロデューサー・ディレクターである松原文枝さんが、2018年から丹念に追いかけてきた、“黒川の女たち”の集大成と言える。
100歳に近い老婦人たちの証言は、凄まじい説得力だ。そしてなによりも、彼女たちが最後に前向きになれたのが嬉しい。被害者たちを支え続けた次の世代の努力にも頭が下がる。「なによりも語り継ぐこと」。その大切さが身に浸みた。
この件に、個人的に深い興味を持っていた理由もある。
以前、番組で加藤登紀子さんと仕事をしたときに、登紀子さんの母、加藤淑子さんの著作『ハルビンの詩がきこえる』を読んだ。
敗戦時、加藤さん一家はハルビンにいた。ソ連軍がなだれ込んできたのは、黒川開拓団の吉林省陶頼昭と同じだ。
ただ、加藤淑子さんは、「ソ連兵が土足で上がり込んだりしたことはあった」「ソ連軍将校に対して毅然として向かい、話し合った。話は通じた」「レイプ等の酷い出来事はなかった」と記していた(今、手元に本がないので、一言一句まで正確ではありませんが)。
たった100kmしか離れていない場所で、まったく違うことが、なぜ?その疑問を抱えていた。
今回、『黒川の女たち』を観て、ヒントを得た。
ハルビン(都市)と開拓村では、本来の住民(中国人)との関係が違っていた。
映画の冒頭部分で、「私たちは、開拓も開墾もしていません」という開拓団の女性のモノローグが入る。
要するに、開拓団・開拓村とは名ばかりで、中国人が開墾した農地を関東軍の力を衣に借りて略奪していたのだ(中には、僅かばかりの対価を払った例もあるらしいが)。
農地に限らず、家屋まで略奪で得たという証言も入る。
敗戦をきっかけに、中国農民の怒りが日本人入植者に向かうのは当然だ。そこで幹部たちがソ連軍に助けを求めたというのが、今回の映画に限らず、黒川入植地性接待問題のキッカケだと解釈されている。
敗戦をきっかけに、中国農民の怒りが日本人入植者に向かうのは当然だ。そこで幹部たちがソ連軍に助けを求めたというのが、今回の映画に限らず、黒川入植地性接待問題のキッカケだと解釈されている。
一方、ハルビンでは、曲がりなりにも共存関係(無理やり乗り込んできて、共存も酷い話なのだが)が成立していて、中国人住民との間に日常的な緊張関係はなかったようだ。もともとハルビンには、ロシア革命で追われたロシア人が多く住んでいたので、そのことも関係しているかも知れない。
映画の中に、性接待問題に触れることに強硬に反対し続けた元開拓団の男性(開拓団当時は少年)が登場する。
「女性たちを辱めることになるから」と。要するに、性被害を被害者の“恥”と捉えている。今も強く残り続ける、この“男主義”に腸が煮えくりかえる思いだった。その“恥”は、性接待を差し出した男たちの恥なのだ。保身もいい加減にしろ!と。
なお、今回の映画でも、黒川開拓団の性接待が、ソ連軍から要求されたものだったのか、開拓団の幹部(男たち)が積極的に提案したものだったのかは明らかにならない。今となっては、その解明は難しいのかもしれないが…
いくつかの映評、紹介記事を読みました。
中で、一番よく書けてると思ったのは以下です。
多少、情報を得てから観たいという方には、役に立つと思います。

